願わくは花のもとにて

謎の病と難病による入院生活の振り返りとその後の生活

震災から8年後の3月11日 命の重みを感じる日

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3月11日

東日本大震災から8年。

今日はきっと、このテーマでブログを綴る人が多いだろうなぁと思いながら

それでもやっぱり、私もこのテーマで書いてみたいと思います。

 

8年前のあの日

日本中に衝撃が走ったあの地震、あの津波…

東北から離れた富士山の麓の町に住む私でも

あの日見た光景と、受けた衝撃はきっと一生忘れられない出来事だと思う。

 

私はその日、職場からほど近い地下1階、地上3階建の建物の3階会議室にいました。

その建物は耐震工事真っ只中で、1階部分は壁が壊され大きな柱だけが残されているような状況。

 

その3階の会議室で、仕事をしていた午後

目の前のパソコンを挟んで、お客様と向かい合っていたちょうどその時

ぐらり

と目の前の視界が大きく揺れた。

 

『地震!?』

 

そう声に出そうと思った瞬間

さっきよりさらに大きな揺れが来た。

 

とっさに会議テーブルの下へ潜り、脚を掴んで支えた。

小学生のころから、何度も何度も訓練してきたこと。

テーブルの下から見えたのは、窓際にかけられたブラインドが波打つように揺れている光景。

潜っていたテーブルは、横滑りしてテーブルごと動きだし

ここにいたら危険だ!

直感的にそう感じた。

 

大きな揺れが一旦おさまった時

上司や同僚たちと、まずはそこにいるお客様達を安全な場所へ避難させなければと

声をかけ、外へ誘導することにした。

 

自分達の荷物はそのままにしてみんなで声をかけあい外へ出た。

揺れと共に起きた停電でエレベーターが止まり

ビルの管理会社の人たちも安全確認に動いていた。

 

3月、春が近づいていてもまだまだ気温は低く

外へ出ても凍えるような寒さだった。

 

来場していたお客様たちの安全確認が終わると

男性スタッフが数名、代表でみんなの荷物を取りに部屋へ戻ってくれた。

待っている間に見えたのは、あの壁が取り払われた工事中の1階部分。

 

建物が崩れ落ちてもおかしくないほどの揺れだった。

『よく崩れなかったね。』

『誰も怪我せずに出てこれて良かった。』

口々に、無事を確かめ合い喜んだ。

 

そこから、自分達の職場までみんなで歩いて戻った。

職場へ着くと、建物内部は停電で暗く非常電源の小さな明かりだけが頼りだった。

 

持っていた携帯のワンセグでニュース画像を見ながらの情報収集。

そこに映し出された津波や火災の映像は、まるで映画の中の出来事のようで

これが現実なのだということに、ただただ恐ろしくなった。

 

職場からの帰り道

市内の道路は信号が消え、警察官が交通整理をしていた。

立ち寄ったコンビニは、薄明かりの中で何とか営業していて

品薄状態の店内から食料や飲み物など手に入るものを購入して帰宅した。

 

真っ暗な部屋に懐中電灯。

お土産にもらったアロマキャンドルで灯りをとった。

 


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命の重み

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あの日

たくさんの人が被災した。

私の町にも福島から避難してきた人たちがいる。

友人のご両親は、福島で被災し

しばらく仮設住宅で生活していると聞いた。

 

失われた命、救われた命

 

時が過ぎて、町が復興して活気を取り戻しても

まだまだ傷の癒えていない人は沢山いる。

今でもまだ、行方不明者を探している人はいる。

これからも風化させてはいけないことだと思う。

 

私たちにできること

今を精一杯生きて行こう。

 

命の重みを感じ取れる1日

今日という日に今ここで生きていることに感謝します。

 

 

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